昔から日本人にとってなじみ深い占いといえば、「手相占い」や「人相占い」ではないでしょうか。街頭の辻にひっそりと座り、道行く人を呼び止めて人生相談にのる、といったイメージでしょうか。こうした街頭の辻占い師たちが用いるのが、この「手相占い」や「人相占い」です。このコーナーでは、手相と人相の根底にあるものを検証します。
手相・人相とは何かを探る 日本人に馴染み深い手相占い
昔から日本人にとってなじみ深い占いといえば、「手相占い」や「人相占い」ではないでしょうか。街頭の辻にひっそりと座り、道行く人を呼び止めて人生相談にのる、といったイメージでしょうか。こうした街頭の辻占い師たちが用いるのが、この「手相占い」や「人相占い」です。「手相学や「人相学」というのは、「個人の潜在的な要素が、手のひらや顔に浮き出てくる」といった発想法に基づいていますが、では、これが本当に信頼のできる占いかどうか、少し考えて見ましょう。
潜在意識の中にあるもの
まずその根底にあるのは、私たちの「潜在意識」というものです。この「潜在意識」は見ることも触ることもできないものです。しかし、現代の心理学においてはこの存在を認めており、また私たちも実際的に、自分自身の意識の下部に情念のように渦巻く、こうした存在が潜んでいることが経験的に分かります。なぜなら、私たちはこの情念に支配されることがよくあるからです。
たとえば、誰でもこういう経験をすることがあるのではないでしょうか。「頭では理解できます。しかし、腹のそこでは納得できない」という経験です。これなどは、私たちの潜在意識の存在を示すものといえるでしょう。こうした経験は誰にでもあるものですが、潜在意識の存在やその作用を端的に知ることが出来るものだと思います。
この見ることも触ることもできない「潜在意識」は、その存在は理解できても、それがどのように心の内部で機能しているかは、断片的にしか分かりません。つまり私たち人間は、自分の心の奥底がどのようになっているかまったく分からないのです。
しかし、それは私たち人間の心の大部分(90%近く)を占めると言われており、意識の下部から私たちに大きな影響を及ぼしていると考えられています。
手相や人相を見る意味とは
では、どのようにしたらこの潜在意識の世界を知ることができるのでしょうか。実は、その答えのひとつが、この手相占いや人相占いなのです。「手相学」や「人相学」では、この潜在意識の持つ性質が、手のひらや顔に「相」となって現れると考える発想法です。こうした発想法そのものは、確かに的をついた考え方といえるのではないでしょうか。なぜなら、「人の心の奥底で想っていることは、たしかに外見に現れ出てくるもの」だからです。
たとえば、「服装の派手な人」は異性に好かれたいという願望ですし、また恋をすれば肌つやが美しくなります。また、嘘をついていれば、何となくよそよそしい態度になるものです。こうした心の作用というのは、それがある程度まで強まれば、確かに外に現れ出てくるものだと言えます。だとすれば、そうした現れを統計的に収集していって、経験則と照合していけば、「手相占い」や「人相占い」みたいなものを作れるということになるのです。
しかし注意しなければならないのは、現在の「手相学」や「人相学」がどの程度まで完成度を持っているのか、つまりどの程度まで、この潜在意識のパターンを正確に読み取って占っているか、ということになるでしょう。
2.手相・人相学の歴史 人相占いの起源とは
さて、この潜在意識を読み取る占い技術が、どのくらい前から発展してきたのかを見てみましょう。まず人相占いに関して言えば、日本で使われる技術の多くがやはり、中国に起源を持っています。
秦や漢代(前202~220)の医学書であった『皇帝内経素問』や『皇帝内経霊枢』にも人相についての記述が見られますが、現代に使用される人相学の技術に関しては、五代(907~960)と宋(960~1279)の道士であった陳希夷(?~989)の『神相全編』という著者が典拠とされています。
陳希夷は道教(中国の民族宗教であり神秘学)の行者であり、人相占いや手相占いの達人とされた人ですが、その占法をまとめたものが『神相全編』です。この本が日本に輸入されて、江戸時代に相法が隆盛となるのです。大阪の名観相家として名を上げた水野南北(1760?~1834)もこの書によって、相法占いの世界へと入っていきました。
また明治期においては、画相法の創始者の林文嶺(はやしぶんれい)、「黙って座れば、ピタリとあたる」と名言を残した桜井大路(さくらいおおじ)らの達人によって人相占い学が一般に広まったのです。
手相占いの起源は
しかし一方の手相占いは、現在の日本で使われているものは、この陳希夷の『神相全編』のものではありません。大正時代に移入された西洋流の手相占い術が主流となっています。手相術は特に18~19世紀にかけて、フランスで隆盛をみましたが、その起源は旧約聖書の時代にもさかのぼると言われますが、今のところ定かではありません。さて歴史的にはともかく、実際にこれら相学がどのような特徴を持ち、どの程度使えるのかを、次に検証してみましょう。
3.手相・人相学の検証 人相学は誰でも使っている
人相占いに関して言えば、実を言いますと、私たちは無意識によくこの「人相占い」を使っているのです。たとえば初対面の人にあうときに、その人全体や顔から何らかのイメージを受けるものです。たとえば、髪型や服装が派手であれば、見栄っ張りであるとか、こぎれいな格好をしていれば几帳面であるとか、顔や体全体の形や色などの均衡を見て、おおよそのその人物の性格を推測します。その中でも特に顔は、世界中に二つとないほど個性的なものですから、その人の潜在意識の特徴がよく表れてくるのではないでしょうか。実は誰でもこの「人相占い」を無意識のうちに使っており、人の性格を読み取ったり、考え方を読み取ったりしているのです。
潜在意識の中のイメージ
たとえば、口の大きな人は生命力がありそうだとか、「への字」の口は頑固そうだとか、あるいは濃い眉は情が強そうだとか、三日月眉は心が美しいとか、何となくそういうイメージを誰でも抱くものです。
こうしたイメージの大部分は、私たちがこれまで経験してきた人物のイメージによる印象なのでしょうか。目のつりあがった人に対して恐怖心を抱き、目じりの下がった柔和な人の顔を見て親近感を抱くのは誰でも同じなのです。
人相占いとは、こうして顔に表現されたその個人の無意識の現われを、細かな点までひろいあげ、経験的に理論化していったものと考えられます。
相学には奥義がある
ですから、そこには確かに根拠らしきものは存在するのです。
しかし、人相占いや手相占いがそうした個人の無意識の状態を、たんに読み取るだけであれば、現代心理学などと大きな違いはなくなります。
現代心理学でも様々なテストをとおして、個人の潜在意識を読み取ることができるからです。これだけでは運命学、占いとは呼べません。実は、手相占いや人相占いの奥義というのは別の所にあるのです。
4.手相学や人相学の奥義 手相や人相学の奥義とは何か
さて、手相学や人相学の奥義とは何でしょうか。その奥義とは、実は「見えないものを見る」という点にあるのです。手相学や人相学ではそれを「気色を見る」という言い方をします。
手相や人相学の達人になると、手相や人相として実際に形として現れたもの以外にも、形而上的領域にある、つまり目に見えない無意識世界にあるような、その人の思っていることや考えていること、あるいは過去の出来事や近未来の出来事などが象となって見えるのです。
過去には、実際にそうした達人がいたといわれます。これは今で言う「透視」の一種と考えられます。本当の達人レベルになると、こうした未知の能力が開けてくるのです。
これが手相学や人相学を行う人たちの目指す占いの達人の境地でしょう。しかし、こうした特殊な能力は誰でも開けるというものではなく、また開けるといっても様々なレベルがあって一概には言えないのです。
透視的な能力には注意が要る
こうした特殊な能力は扱い方が非常に難しく、観相者が実際に見たと思っても、それがまったくの「虚像」であったり、あるいはその人とはまったく関係のないものを見たり、あるいは観相者自身の思いが投影されたものであったりなど、誤認する場合が数多くあるのです。これは霊感を使う占いなども、まったく同様です。
ですから、こうした神秘能力を使用する際には、常に論理的な検証というものが欠かせません。しかし多くの観想者は、こうした地道な作業を怠り、一度見たものを完全に真実であるかのように錯覚を犯す場合が多いようです。
私はこうした特異な能力が存在することは完全に認めますが、そうした判断を素直に受け取ることはできません。なぜなら、その観相者の見たものが真実であるという確証がないからです。手相学や人相学を志す人たちは、そうした観相の持つ特性をきちんと理解し、自身の見たものを論理的に検証して、「不確かなことは告げない」、という科学的な精神を持ってくれたらと願います。
要するにこの占断法は、それを行う人によっては驚異的な的中率を上げることもできますが、それ以外の人にとっては当たらずとも遠からずの的中率であって、そのシステム上、その多くが観相者の能力に大きく作用されるということです。これは手相占いや人相占いのあいまいさを露呈するものでもあるでしょう。しかしまれに、自己の運命に関する重要なことを、「神霊などが観相者を通して語ることもある」ということを最後に付け加えておきます。
引用元:オフィスファルの「占いと運命の科学」より
|